会社概要

設立趣旨

千代田区の北東部、神田川の北側に位置する秋葉原は、かつては隅田川を通じた物資が集まる湊町、中仙道・岩槻道等と江戸城下を結ぶ交通の結節点として、さらには、明治23年の秋葉原貨物駅、大正14年の旅客駅開業により、人・物などの交通結節機能を担う要所として数多くの人々に利用されてきました。
また、この秋葉原は、近代以降二つの巨大な市場(いちば)を形成してきました。
一つは、震災復興により、神田多町から移転してきた「神田青果市場」です。震災復興期には秋葉原の町はこの市場を中心に再編されていきました。神田青果市場は平成元年に大田市場へ移転し、その跡地が現在の駅前開発地区の一部となっています。
もう一つの市場は、「電気街」です。震災復興から15年足らずで秋葉原は戦災により再び焼け野原となります。戦前から中央通り沿道にあった電気材料、部品卸商の地方ネットワークにより全国的な取引市場が形成されてきたことを下地に、戦後の混乱期に形成されたラジオ組み立て部品を中心とする露天商が、秋葉原駅直近のガード下へ集団移転したことをきっかけに、次第に全国有数の“電気街”として再生、発展してきました。 この2つの市場は、秋葉原が歩んできた歴史の中で常にまちの賑わいを演出しながら、この地域に住み、働く人たちの活力の源となってきました。 このように、秋葉原には、江戸から東京を通じて交通の要衝というポテンシャルを活かし、大火、震災、戦災を乗り越え、時代の流れを柔軟に受け止めながら再生と発展を繰り返してきたたくましさがあります。 一方、社会経済情勢の激しい変化の中にあって、地域コミュニティやそれぞれの時代を築いてきた製品や関連部材を取り扱うところが今現在も残り、併存し続けていることも大きな特徴であります。江戸以来の職住一体の建物が残り、神田祭りを担う町会も健在です。電子部品商社や問屋は数多く集積しており、またラジオから家電、オーディオ、パソコン街へと変転してきた電気街の中には、それぞれのブームを担った店が営業を続けています。こうした観点から、秋葉原は歴史を積み重ねつつ、同時に共存させている希有なまちであると言えるかもしれません。

今、青果市場・貨物駅跡地は、新たにインフラ整備がなされ、ITセンターをテーマに先端機能を有した超高層オフィス群に変貌しつつあり、駅前開発やものづくり屋が集まるまちとして、テレビ等マスコミに多く取り上げられ、多くの来訪者で日々賑わいを見せています。

しかしその一方では、多くの来街者を集めるまちの裏面として犯罪や風紀環境の悪化、ゴミのポイ捨てや放置自転車の横溢など生活環境の低下や、既存ビルの老朽化あるいは空室問題等が指摘されています。また、都市間競争のグローバル化が進展すればする程、逆に身近なコミュニティや生活の質を重んじるローカルな価値意識の醸成と、それに対応した地域再生のあり方も問われてきています。

「秋葉原」が地域の活力や魅力を発信しながら、継続的に繁栄し続け、今後、国内外で激化する都市間競争を勝ち抜くためには、「人・物・情報が交流する市場」として「秋葉原」が培ってきた「焼け野原から再生するたくましさ」や「変化を受け止めつつ歴史を共存させるしなやかさ」を活かしながら、まちで今起きている問題、そして将来起こりうる問題を迅速に解決し、まちの魅力・価値を更に高めていくことが必要です。
私たち、秋葉原の住民、事業者、そして行政は、今こそ私達の大好きな秋葉原の存在感を確固たるものにし、持続的なまちの繁栄が未来に亘り続くよう、ここに地域の魅力価値を高め、問題を解決する組織「秋葉原タウンマネジメント株式会社」を設立します。

(平成19年12月10日)

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秋葉原協定
秋葉原協定は、「誰もが安心してまち歩きができ、買い物ができるまち」の実現に向け、地域の人々や来訪者が守るルールです。このルールを行政機関等の協力のもと、地域関係者が一体となって推進していきます。

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